独立に向けて

2年目に入ると、気持ちはFPとしての独立に向かっていたので、保険の営業そっちのけで、今まで以上にいろんな人達とお会いして、独立後の自分の姿を描くことに一生懸命でした。そして、その姿勢は営業成績にも反映していました。

ソニー生命からの報酬は「歩合給」ですから、営業がおろそかになって結果が出ないと、当然収入は減っていきます。自分で選んだ道とはいえ、今思えば多くの方にご心配とご迷惑を掛けてしまった時期だったなと、反省するばかりです。

プライベートでは、この頃に3人目の娘が誕生しました。2人目の時には「男の子が生まれたら・・」なんてことも考えていましたが、3人目はなぜか最初から女の子だろうと思っていた記憶がおります。

ちなみに、私は3人の子どもの誕生すべてに立ち会っており、その経験から「事情が許す限り出産には立ち会うべきだ」という考えを強く持っています。女性は偉大です。

このような環境の中、FPとしての活動の幅はどんどん広がっていました。

当時は、FP関連のセミナーや資格取得のための講座が一気に増えていた時期ですから、前職のLECを中心に講師の仕事は多くありましたし、多くの人とお会いしたおかげで、原稿を書く仕事のお手伝いも数多くさせていただきました。もちろん、当時の所長や支社長に話をした上での活動です。

そして、当初から独立までの期間と考えていた3年という節目が近づいてきたことと、20代で独立を果たしたかったこと。また社内の組織が大きく変わり、今までのような活動では周りの方に迷惑をかけてしまうようになることが重なりまして、2001年3月をもってソニー生命を退職することにしたのです。

ここに、独立系FPの栗本大介が誕生しました。

2001年4月。29歳の時。世界を震撼させたアメリカの同時多発テロが発生し、小泉政権が発足した年です。

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