立命館大学へ

高校の時とはうってかわって、今度は内部進学者の立場です。

私が入ったのは法学部だったのですが、だいたい1クラスに3人程度いる内部進学者が、そのクラスの中心的な存在になっておりました。

地方出身者が多く、クラスコンパなどをやるにしても、そもそもみんなは京都のお店を知らないわけですから、自然と幹事役をまかされてしまいます。しかも、少し大人びた高校時代を送っていたため、飲み会を仕切るノウハウを身に付けている、頼もしき新入生ですからね。

さて、こんな感じで始まった大学生活ですが、生活のメインはアルバイトだった気がします。4年目となった私はスイングマネージャーといって、バイトでありながらほぼ社員と同じ仕事をこなす立場になっていたこともあり、それなりに自由にやってました。別に悪いことはしていませんが、楽しくてしょうがない時期でもありました。

ラクロスサークル結成

そんなある日、高校時代の友人がラクロスというスポーツを見つけてきまして、仲間内でサークルを作ろうという話になりました。

もちろんラクロスなんて、聞くのも初めてですし見たこともありません。ただ、みんなで何かをやりたいという想いや、身体を動かしたいという気持ち、気の合う仲間でイチから作り上げるのが面白そうっていう気持ちもあり、すぐに話は盛り上がりました。

当時、ちょっとずつ広がりをみせていたラクロスですが、大学1回生の秋に「第1回関西学生リーグ戦」が開幕されることになりました。どうせ始めるなら大会に出ようということで、とにかく必要な道具を揃え、他の大学の先輩にコーチに来てもらい、ルールブックや海外の試合ビデオなどを観て、なんとか形にしていったわけです。

このときは、ほぼ同時にラクロス部を立ち上げた京都大学との混成チームとして出場しました。もちろん結果は惨敗ですが、同じく創部1年目の龍谷大学と同率で、参加7チーム中6位タイという、立命館大学ラクロス部としての最初の記録を残したわけです。

ちなみに、大学2回生の時の「第2回関西学生リーグ戦」では参加チームが15大学にまで広がり、その時にはベスト4進出を達成。決勝トーナメントで全日本選手権出場をかけて争うほどになってました。(上位3チームとは歴然とした差がありましたけど・・・)

このときのメンバーは、ほぼ全員が高校時代に部活でキャプテンや副キャプテンを務めていたこともあり、スポーツの基礎力のようなものがあったのかもしれません。飲み込みも早いしチームワークも抜群。今から考えても理想のチームだったと思います。

今ではこのラクロス部も体育会公認の正式なクラブとなり、全日本選手権への出場も経験した強豪チームに成長しており、創立メンバーの1人としては感慨無量です。

高校時代の仲間の結束はここでさらに深まり、今でも毎年みんなが顔をあわせておりますし、仲間の結婚式には全員が披露宴に参加するという不思議なしきたりもできております。

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