誕生

1971年(昭和46年)7月1日、大阪万博の翌年に滋賀県大津市にて3人兄弟の末っ子として生まれました。横綱大鵬関が引退した年であり、第一銀行と勧業銀行が合併して第一勧業銀行が誕生した年でもあります。

その後1歳ごろには長崎の佐世保に住んでいたそうですが、もちろん全く記憶はございません。この時にベッドから落ちて鎖骨を骨折したことが、これまでの人生の中で最も大きなケガでした。

幼少時代

すぐに大津に戻り、入園したのが滋賀大学附属幼稚園。姉と兄も行っておりましたので、自然の流れで入ったような感じです。幼稚園から地元の京阪電車に乗って通っておりました。ロッキード事件によって田中角栄前首相が逮捕された年であり、カンボジアでポル・ポト首相が誕生した年でもあります。

ちなみに3年保育のときは、入園試験で泣き叫んで不合格。2年保育で無事に合格したそうですが、これも全く記憶にございません。

卒園後は、そのままエスカレーター式に滋賀大学教育学部附属小学校に入学したわけですが、小学校3年生のときに衝撃的な出来事が発生いたします。

それは、香港への引っ越し。

私の父親は船乗りだったのですが(2007年まで現役でした)、3年ほどの陸上勤務というのがあったそうで、その赴任先が香港だったという理由です。

ある日夕食の場でいきなり聞かされたのをなんとなく覚えております。
日本政府がモスクワオリンピックへの不参加を表明し、王貞治氏が巨人を引退、山口百恵氏が芸能界を引退した年でもありました。

香港での3年間

小学3年生の夏休みに一家で香港へ引っ越しました。

飛行機も初めてなら海外ももちろん初めて。父は半年ほど早く香港に行っておりましたので、母と子ども3人で行ったわけですが、今考えると母親は不安でいっぱいだったんじゃないかと思うわけであります。

そんな親の苦労を知る由もないですから、私は結構楽しんでいた記憶があります。初めての転校に対する不安はありましたが。

当時は香港島の寶雲道(ボウエンロード)という所に住んでおりました。100万ドルの夜景で有名なビクトリアピークの中腹辺りにある場所で、マンションから見える景色がすごくきれいだったことを覚えております。

余談ですが、2017年、およそ35年ぶりに香港を訪れる機会があり、このマンションを見に行ったのですが、当時のままの姿だったことに感動いたしました。

さて、香港では日本人学校に通っていたので周りは全部日本人ですが、近所で遊ぶ時には現地の子と一緒だったので、片言の広東語や簡単な英語は話していたような気がします。今振り返ると、子どもの順応力の凄さを身を持って体験していたわけです。

それよりも、当時は香港中を走る2階建てバスにすごく興味を持ちまして、友達と一緒に香港中を駆け巡って写真を撮っていたので、現地のバスの運転手さんとも仲良くなっていました。

バスターミナルに行くと、たいてい馴染みの運転手さんがいたりして、車庫に向かうバスにただで乗せてもらったりしていたのは、懐かしい思い出です。 

結局3年弱ほどを香港で過ごし、小学6年生になるときに日本に帰ってきました。

昭和58年。この年には「おしん」の放映が始まり、東京ディズニーランドが開園いたしました。

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