バイトでさらに変わる生活

こうした中、当時はアルバイトをすることも普通の流れだったわけですが、実はこのアルバイト先も、後に私の人生を決定づけることになるのです。

この点はもう少し先の話になるんですが、この時に選んだバイト先はマクドナルド。

これがまた自分にぴったりで、はまりました。

高校1年の冬休みからスタートし、結局大学卒業するまでの6年半ほど、親戚の旅館を手伝う以外、バイトはこれ1本でしたから。

バイト先で、今度は大学生の人たちにかわいがっていただきまして、車という移動手段を手に入れた私の行動範囲はかなり広がることになります(もちろん連れて行ってもらうわけですけどね)。

その頃は、バイト先の先輩である女子大生が高校まで車で迎えに来る、なんてことがありましたから、同級生からも「お前は何者やねん?」ってよく言われてました。あ、もちろん男の人が迎えに来たことも多かったんですよ。ただ、どうしても「車で女子大生が迎えにくる」というインパクトが強かったのでしょう。

当時は、朝6時半からバイトに行って開店準備。7時半ごろ店のオープンと同時に学校に行き、夕方から再びバイト、という日がしょっちゅうありました。

こんな生活ですし、慕っていた先輩が卒業したあとは当然部活に熱が入らなくなり、ある日突然、選手登録を抹消されてしまうことになってしまいました・・。平たく言えばクビです。40歳を過ぎたころ、母校の同窓会で25年ぶりにお会いした顧問の先生からは、「そんなこともあったなあ」と笑いながらお話することができ、時の流れの素晴らしさを実感した次第です。

バンド、ライブ、生徒会

また、高校時代はバンドを組んだ時期でもありました。先ほどの話で、高校3年の先輩と随分つるませていただきましたが、その中にバンドを組んでる人がいて、面白そうやなあと思ったのと、もともと音楽好きでしたから、気がつけばクラスメイトとバンド結成となったわけですね。

この時にはドラムをやろうと思っていたのですが、色々あって結局はボーカルを担当することに。当時はハウンドドッグとアースシェイカー、BonJoviを中心に、ハードロック系のコピーをしており、何度かライブも開催しております。

そういえば、高校3年生の時には「セブンティーン」っていう雑誌に2回ほど載りましたね。「ざまぁカンカン」という夕方のテレビ番組の学園祭特集にも5秒間ほど出たりしてました。

一番盛り上がってたのは高校3年生の時。

当時の花形は、学園祭で行うライブハウスだったわけで、これを実現するために仲間内で生徒会を組織しまして、僕は副会長兼ライブハウス実行委員長に就任。

かなりアクティブな生徒会で、色々なトラブルを乗り越えつつ、みんなが一つになったような感覚があります。学園祭のあと、同級生総勢50名ほどで行った打ち上げは今でも語り草であります。(注:未成年の飲酒は法律違反です)

ちなみに、高校3年の時は18歳の誕生日に合わせて、6月ごろから車の教習所にも通っており、学校の授業は出席日数を計算して、計画的に休んでおりました。うーむ、ここでもとんでもない高校生だった気がします。

朝からバイト。その後教習所。放課後の生徒会活動のため昼過ぎに登校。夜はまたバイト。っていう日々もございました。おかげさまで高校3年生の夏休みには車の免許を取得しておりました。

バンドの方は、その後メンバーの入れ替わりがあったり、別のバンドでドラムを叩いてたりした時期もありましたが、最終的にはボーカルに落ち着いて大学4回生までなんだかんだと歌い続けておりました。

そして、当然のように立命館大学に進学することとなるわけです。

平成2年、西暦1990年。世の中では、初の大学入試センター試験が実施され、三井銀行と太陽神戸銀行が合併したいたしました。また、6月には「岩戸景気を抜いて戦後2番目の景気の長さ」と発表されながら、日経平均株価が大暴落を演じる年です。世界ではソ連のゴルバチョフ大統領が誕生し、湾岸戦争が勃発したのもこの年です。

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